令和5年1月26日 午前10時11分に
さんかんPORTAL編集長 ちゃた が虹の橋へと旅立ちました。
享年5歳でした。
我々さんかんPORTAL編集部一同は、大好きな編集長との思い出を
ひとつの記事にすることにしました。
始めて編集長が家族になったのが、令和2年4月12日でした。
保護猫として保護猫活動をしている方がお世話をしてくれていて、
そこで一目惚れして、家族になってもらいました。
編集部は3匹の猫ちゃんが運営していますが、その記念すべき1匹目でした
最初は、慣れていない家に戸惑っていましたが、
元々の人懐っこい性格もあり、すぐに家になじんでくれました。
編集長の中の人が地元をもっと元気にしたい!!自分達でも何か行動したい!
という思いが日に日に強くなってきて、
令和3年6月17日に ちゃた が、めでたく「編集長」に就任しました。
そして様々な準備を整え、同年8月1日から《さんかんPORTAL(さんぽ)》が
本格スタートしました。
編集部が大好きな編集長を色んな人に知ってもらいたいという
思いも強く、ツイートやインスタでも度々登場してもらっていました。
時には、記事にも登場してもらっていました。
実際に編集長と会ってもらって、握手してもらいたいという思いから、
令和4年3月5日に当時内閣府副大臣であった《大野敬太郎》代議士と、
同年8月6日には三豊市の《山下あきし》市長と対談を行い、
固い握手で地元の未来を輝かしいものにしていくと誓い合いました。
そして、次はどんな方と対談してもらおうかと計画を練っていましたが、
令和4年11月に編集長の体重が激減してきました。
急いで病院に連れて行った際に、腎不全の末期であると診断され、
「もう長くはもたない」「もしかすると数日かもしれない」と言い渡されました。
しかし、編集長は痛い注射も我慢し、食事も好きなものから体にいいものに
かえて、懸命に良くなる努力をしてくれました。
その甲斐あって、同年12月には体重も増えてきて、元気に遊ぶまで回復しました。
この元気が長く続いて欲しいと願っていました。
令和5年1月23日 急に口元がはれてきて、少し歩きにくそうにしだしました。
同年1月25日には、ついに自分で歩くこと・排泄することすら困難になってきました。
お医者さんとも相談しましたが、手術に耐えられる体ではないということで、
家で一緒に過ごすことになりました。
令和5年1月26日 とうとうお迎えが来てしまいました。
その日は皆で身体を綺麗に拭いたり、生前好きだったものを
まとめたりし、家族と一緒に最後の夜を過ごしました。
令和5年1月27日 スカイフレンドパーク様にて
編集長をお見送りする会を執り行っていただきました。
編集部員総出で参列し、お見送りました。
享年5歳という早すぎる別れは、耐え難いものです。
しかし、悲しんでいては編集長のこれまでの頑張りに報いることが
できません。
編集長のためにも、編集長が立ち上げた この《さんかんPORTAL》を
続けていくと強く誓いました。
編集長へ
いままでありがとうございました。
これからも編集部は頑張っていきます!
お空の上から見守ってください。
そして、波乱万丈だった猫生から解放され、
ゆっくりと休んでください。
いつまでも大好きです。
沢山の思い出をくれて、本当にありがとう。
一緒に頑張った日々を忘れない。
これからも一緒に地元を盛り上げていこうね。
皆様へ
編集長は、さんぽを卒業してしまいましたが、
これからも応援よろしくお願いします。
ちゃた編集長の色んな姿を見ることが出来ます。
ぜひ、お時間ある時にでも、見て貰えると嬉しいです。
ちゃた、家族になってくれてありがとう。 (ちゃたの家族より)
最新の更新を
プッシュ通知で受け取ろう!
COMMENT